9 アナクシマンドロス



第9回サイファイ・カフェSHE 札幌
 


テーマ: アナクシマンドロスと科学的精神

日 時: 2023年2月25日(土)15:10~17:30 

会 場: フルーツ会議室 / 札幌駅前


札幌市北区北7条西2丁目6
37山京ビル 602号室 

参加費: 一般 500円、学生 無料 

参加申し込みは、she.yakura@gmai.comまでお願いいたします

よろしくお願いいたします



カフェの内容

 ミレトスのタレス(c.624 BC-c.546 BC)に始まるソクラテス以前の哲学者に属するタレスの弟子アナクシマンドロス(c.610 BC-546 BC)は、世界の始原物質としてタレスが考えた水を批判して「無限定・無限なもの」(ト・アペイロン)を考え、我々の大地は支えのないところに浮いているとしました。

 今回、「ト・アペイロン」の意味するものを探ると同時に、この哲学者を「最初の科学者」として高く評価する理論物理学者カルロ・ロヴェッリ(1956- )の見方を参照しながら、科学とはどのような 営みなのかについて改めて考えることにいたしました。このテーマに興味をお持ちの方の参加をお待ちしております。 

*『カルロ・ロヴェッリの科学とは何か』(河出書房新社、2022)という邦訳があります。

(2023年1月7日)



会のまとめ





今回は、雪降りしきる中での開催であった。まず、そんな中参加された皆様に感謝したい。今回のテーマは、前回のFPSSで振り返ったソクラテス以前の哲学者の考えに触発されたものであった。イオニアのミレトス学派にはタレス(c.624 BC-c.546 BC)、アナクシマンドロス(c.610 BC-546 BC)、アナクシメネス(585 BC-525 BC)の三羽烏がいるが、自身の師であるタレスがこの世界の始原(アルケー)は水であるとし、弟子のアナクシメネスも空気という明確に規定されたものをアルケーとしたのに対し、アナクシマンドロスは規定し難い、際限のない、無限(ト・アペイロン)をアルケーとしていたことを知り、これは一体なんだと興味を惹かれたのであった。

一般に西洋哲学の始まりにソクラテス(c.470 BC-399 BC)が置かれ、それ以前の哲学者としては世界は水から出来ていると言ったタレスが記憶から引き出される程度である。少なくともわたしはそうであった。タレスから始まるミレトス学派が自然の解析を世界の根源的な成り立ちという視点から行ったのに対し、ソクラテスは人間の内にその道徳的視線を向けた。ミレトス学派は現代の自然科学が扱うテーマを探究したという意味で、自然科学の分野にいた者としては研究の対象にすべきだろう。そんな思いもあり、わたしには特に異色に見えたアナクシマンドロスの哲学を探り、科学というものについても考えることにした。

まず、彼らが研究対象とした自然(ピュシス)とはどのようなものだったのだろうか。我々が考える自然はいろいろな生物や無機物が存在している自然界というイメージだが、それ以前に古代ギリシア人は「自ずから立ち現れるもの」「根源的な原因、原理、本質」を見ていた。「始まり」「第一原理」「始原」(すべてのものがそこから来るところのもの)はアルケーと呼ばれるが、この言葉を哲学的なコンテクストで最初に使ったのがアナクシマンドロスだと言われている。

実は、この哲学者について何も知らなかった2010年、イタリアの理論物理学者カルロ・ロヴェッリ(1956- )が書いた『アナクシマンドロス、あるいは科学的思考の誕生』の仏訳を手に入れていた。いずれ読む時が来るという直感とともに。その機会が13年後に訪れたことになる。この会では、ロヴェッリさんの考え方も紹介しながら科学的思考について議論した。一つの特徴として挙げていたのは、師の考えを批判的に見て異論を唱え、自説を展開するという点がある。タレスの説を批判したアナクシマンドロス、アナクシマンドロスの説を異議を唱えたアナクシメネス。このようなことは東洋には起こらなかったというのが西洋人ロヴェッリさんの見方であった。つまり、科学は西洋の産物だという考えである。

科学というのは本質的に永遠の真理(権威)に対して不寛容であり、反抗的なのである。そこで見逃してならないのは、ゼロから新しいことを自由に考えるという中からは真に新しいことは出てこないということだろうか。科学の進展には連続性があるという見方と革命な展開がそれ以前の科学との間に断裂を作るという不連続説がある。ロヴェッリさんはトマス・クーン(1922-1996)などが唱えるパラダイムシフトについて疑義を抱いているようである。あくまでもそれまでに蓄積された科学知について深く検討する中からしか新しいことは現れないと考えているからだろう。その哲学は、わたしが「人類の遺産に分け入る旅」と称して始めたフランスでの生活の根底にあった考え方とも通底しているように感じる。この他にも、我々が現代を生きる上で重要になるテーマ――例えば現代における独裁(科学には存在しないのだが)をどのように考えるのか、意見を異にする人や国がどのように意思疎通をして相互理解を可能にするのかなど――において、科学的精神をもとにした思考が行われているだろうか。技術の発展だけに関心が向かい、科学を構成するさらに重要な要素は社会に定着しているだろうか。このあたりについても議論が展開した。



(まとめ:2023年2月27日)



参加者からのコメント


今日は楽しい時間を過ごさせていただき、どうも有り難うございました。

● 昨日はおかげさまで素晴らしい時間を過ごすことができ、感謝申し上げます。また、資料と写真をお送りいただき、ありがとうございました。次回を楽しみに、いろいろ考えながら過ごそうと思っております。どうぞお体を大切にしてください。

● タレスを師とし、ギリシャのミレトスに紀元前610年頃に現れたアナクシマンドロス。宇宙の原理を見つけることに野心し、宇宙の中にある人間を特別視することなく、非人間中心主義の中で著作を残すなどのいくつもの貢献をした。その中には、地球の下には空があり、地球は何者にも支えられない、、といった宇宙モデルも提示した。それは、太陽の動き、周期性等に注意を払う知的好奇心と知性の明晰さ、そして当時としては珍しい理性に基づく判断であり、それまでの常識を捨て去ることの大切さを改めて知らされる。そのような、アナクシマンドロスを歩みをたどりながら、そしてアナクシマンドロスを語る理論物理学者 カルロ•ロヴェッリの考え方の紹介を通して、深く考えさせられた会であった。

その中では、過去に蓄積された知を絶えず見直し、修正することでの学問の進歩の姿が描かれ、そのような中にあっては新しい代替理論を自由に考えることではないという、過去の膨大な知的遺産の大切さを改めて感じ入った。そして、そのような中にあっても、絶えず批判を受容し、確実性の欠如を受け入れる謙虚な科学的態度についても触れられていた。 

そして最後に、文化相対主義と絶対思想といった提示があった。文化相対主義とは、すべての意見や価値は同等であり、どちらが優れているのかを決められない立場。絶対主義との対比として位置付けられる一方で、ややもすると思考放棄ともなりかねない危険性があり、とりわけ現代社会の多様性尊重を背景として、民主主義自体が相対主義と言う名の思考停止に陥る危険について思いが及んだ2時間であった。










Aucun commentaire:

Enregistrer un commentaire