第14回サイファイカフェSHE 札幌
テーマ: 『免疫から哲学としての科学へ』を読む(2)仮説、自己免疫、共生
会 場: 札幌エルプラザ4F 特別会議室
〒060-0808 札幌市北区北8条西3丁目
℡ 011-728-1222
参加費: 一般 500円、学生 無料
(飲み物は各自ご持参ください)
カフェの内容
今回も拙著『免疫から哲学としての科学へ』を読み解くことにいたしました。前回読み残した仮説や統一理論を出すことの意味について考えた後、第2章「自己免疫、共生、そしてオーガニズム」に進む予定です。参加予定者には、あらかじめ参考資料をお送りいたします。それと併せて第1章の後半と第2章をお読みいただくと、科学という営みや免疫に関する理解が深まると思います。このテーマに興味をお持ちの方の参加をお待ちしております。
参考テクスト: 『免疫から哲学としての科学へ』第1章及び第2章(みすず書房、2023)
参加申し込みは、she.yakura@gmai.com までお願いいたします。
会のまとめ
拙著『免疫から哲学としての科学へ』の読書会第2回目は、7名の参加者を迎えて開催された。今回は、前回読み残した第1章第7節「クローン選択説に対抗する新しい理論的試み」から始め、第2章を読み切る計画で進んだ。
まず、1975年から15年ほどの間一世を風靡した後、忘却の彼方に消え去ったニールス・イェルネ(1911-1994)の「イディオタイプネットワーク理論」を例に採り、理論の骨子となぜこのような経過を辿ることになったのか、そしてこのような統合理論を提唱することの意味について考察した。この理論は、個々の抗体に特徴的な抗原決定基(イディオタイプ)が別の抗体の抗原認識部位(パラトープ)により認識されるという実験事実から出発して、このような結合が全身の抗体を巻き込みネットワークを構成し、それが免疫を調節しているのではないかというものであった。一つの実験事実から思考を羽ばたかせて壮大な理論にまで飛躍していったように見える。そのため、当時の第一線の研究者がこの理論に引き付けられ、その検証に当たったが、最終的にはこの理論が実証されることはなかった。
なぜこのようなことになったのかという疑問を持ったイディオタイプネットワーク研究の中心にいたクラウス・アイヒマン(1939-)がその検証を行い、The Network Collective(2008)という書籍にまとめた。それによると、イェルネのカリスマ性もあってか、仮説として発表されたこの理論が次第に確立されたものとして捉えられるようになり、仮説に合わない結果が出た時には仮説の検証が行われなければならないのだが、実験結果の方が捨て去られるということが起こっていたという。優秀な研究者の集団においてこのようなことが行われていたことは驚きだが、この過程を見ると、そういうことが起こりうるということを示している。
科学的事実というものが確立される過程は、科学の中だけではなく科学を取り巻く社会的な要因にも影響を受けるという事実が、1935年にポーランドの医学者ルドヴィク・フレック(1896-1961)により『科学的事実の生成と発展』として報告されている。この中でフレックは、「思考スタイル」(Thought Style)と「思考集団」(Thought Collective)という概念を提唱している。思考スタイルとは、経験的事実が経験を超えた伝統や集団の主観的フィクションにより制約を受ける思考様式を指し、思考集団とは、この思考様式を持つ個人から構成され、特定の領域においては偏差的コミュニティを形成する傾向があるという特徴を持っている。アイヒマンは、イディオタイプネットワーク研究集団にフレックの言う思考集団の特徴を見て、自著のタイトルに Collective という言葉を入れている。
科学という営みを考えた時、一つの実験事実から想像を働かせてより大きな可能性を考えることはその中心にあるべき営みであるという見方がある。危険理論を提唱したポリー・マッツィンガー(1947-)は、仮説の価値はその正しさではなく(間違っていれば誰かが正してくれる)、仮説の提唱により議論が起こり、その現象がよりよく理解できるようになることであると言っている。このような考えの持ち主だったからこそ、危険理論によって新しい世界を切り開くことができたとも言えるだろう。間違いを恐れるあまり仮説の成否だけに意識が向かってしまうと、このような自由な思考の羽ばたきや議論は抑制されることになる。それは科学が本来持っている活力を奪うことになるのではないだろうか。
第1章に登場する科学者を改めて眺めてみると、免疫学の外から入ってきた人が非常に多いことに気づく。一つの領域に新しい息吹きを吹き込む人たちは枠の外にいる、思考集団から離れた視点を持っていたとも言える。そのような立ち位置に身を置くということは、何か新しいものをもたらすための条件なのかもしれない。
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第2章は、自己免疫、共生、オーガニズムがテーマになっている。最初にこの章のテーマに関連する2つのエピグラフ――「自己免疫は単なる負担でも好機でもなく、一つの必然である」と「わたしは一人の他者である」――を検討してから始めた。
自己免疫についての考え方として、パウル・エールリヒ(1854-1915 )の「自己中毒忌避」(horror autotoxicus)が最初期のものになる。1900年、異種の動物や別のヤギの赤血球でヤギを免疫すると抗体を産生するが、自己の赤血球に対する抗体は産生しないことを発見。このことからエールリヒは、自己成分に対する抗体は原則として産生されないこと、そしてそのように制御しているメカニズムは個体にとって最も重要なものであると考え、「自己中毒忌避」と命名した。しかし、エールリヒのこの考えは自己免疫病は起こり得ないものであると曲解されることになり、自己免疫病の存在が半世紀以上の間、否定されることになった。これは上述の「思考集団」の特徴を示すものであるとの指摘もある。
例えば1900年、パスツール研究所で研究していたロシア出身の科学者セルゲイ・メタルニコフ(1870-1946)はモルモットを用い、自己の精子に対する抗体が産生されることを報告しているし、1904年にはジュリウス・ドナート(1870-1950)とラントシュタイナー(1868-1943)が、最初の自己免疫病「発作性寒冷ヘモグロビン尿症」を報告しているが、すぐに自己免疫病とは認められなかった。
しかし時とともに自己免疫病の存在は疑うことができなくなると同時に、その頻度が比較的少なかったため、自己成分に対する反応性を抑制するメカニズムが検討されるようになる。1950年代に入り、クローン選択説を提唱したマクファーレン・バーネット(1899-1985)は、生体内で常に起こっている遺伝子変異が自己反応性クローンを生み出す原因になることを理解していた。そのようなクローンを「禁止クローン」と名づけ、細胞が未熟な段階で自己抗原と出合うと細胞死に陥ると考えた。当時、優勢であった指令説(抗原の構造に合わせて抗体が形成されるとする)では、自己と非自己の識別が説明できなかったのである。
B細胞における自己反応性の抑制メカニズムとして、中枢臓器である骨髄におけるクローン除去の他に、自己反応性細胞は存在するが活性化できない状態にあるアナジー、自己反応性抗体の軽鎖遺伝子の再構成による特異性の変更である受容体編集、共刺激の欠落、そして制御性T細胞(Treg)による抑制などが明らかにされている。
T細胞の場合、分化・成熟は胸腺内で起こる。T細胞はB細胞と異なり、自己MHC(主要組織適合遺伝子複合体)と非自己抗原ペプチドが結合したものを認識するので、この条件を満たす状態になったT細胞を胸腺から末梢に送り出している。そのためには、胸腺皮質で行われる「正の選択」と言われる過程により、自己MHCと適度に反応する受容体を持つ細胞が選択されて生き延びた後、髄質で行われる「負の選択」により、自己MHC+自己ペプチドと強く反応する受容体を持つ細胞が細胞死により排除される。この2つの選択を経て、末梢で機能できる自己MHCと非自己ペプチドを認識するT細胞が胸腺から出ていく。
ここで問題になるのは、胸腺内に末梢の自己抗原がどれくらい発現しているのかということである。その発現によって自己反応性T細胞が排除されるからである。驚くべきことに、負の選択が起こる髄質の上皮細胞に肺、心臓、精巣、胃、腎臓などの末梢で見られる抗原が異所性に発現しており、その発現を調節している転写因子がいくつか見つかっている。この転写因子が欠損すると自己免疫病になることも分かっており、これらの抗原発現が負の選択に重要な役割を担っていることが示唆される。しかし、このような中枢性のコントロールも完全ではなく、自己反応性T細胞は末梢に見られる。これに対しては、B細胞と同様に、アナジー、欠失、さらに制御性T細胞などがその抑制に関与している。
この間、このような制御があるにもかかわらず見られる自己抗体や自己反応性T細胞の積極的な役割も報告されている。自己抗体は、抗体を産生するすべての種に見られることが明らかになり、これが何をやっているのかが考えられた。1947年、フランスのピエール・グラバール(1898-1986)は、自己抗体は生体の維持機能に積極的に関与しているという説を唱えたが、エールリヒの影響がまだ残っていたためか受け入れられることはなかった。最近の研究では、自己抗体を含む自然抗体がない場合、病原体が拡散するところから、防御反応に関与していることが示唆され、自己反応性T細胞においても生体に有益な効果が確認されている。
自己免疫に積極的意味を持たせる考え方として、イラン・コーエン(1937-)の「免疫ホムンクルス」がある。その発想のもとになった事実は、もし突然変異がランダムに起こったために自己免疫病が発症するのだとすれば、そこで認識される自己抗原も多種多様でなければならないが、実際には限られていることであった。そこからコーエンは、免疫システムは定常的に特定の自己抗原を認識しており、そのためのリンパ球や抗体が存在すると考えた。この構造をワイルダー・ペンフィールド(1891-1976)の脳のホムンクルスに肖り、「免疫ホムンクルス」と命名。このシステムの乱れが自己免疫病を生み出すとした。つまり、自己免疫は新たに発生したものではなく、正常状態で見られる自己免疫が何らかの原因で閾値を超えたものとして理解しているのが分かる。
最近、獲得免疫(リンパ球や抗体)の異常による自己免疫とは別に、自然免疫系の異常による炎症性疾患が報告されている。ダニエル・キャストナー(1951-)による「自己炎症性疾患」である。その原因として、腫瘍壊死因子受容体の細胞外領域をコードする遺伝子の変異、転写因子NF-κBの活性化異常、マクロファージの活性化異常などが明らかにされている。これらの結果は、バーネットが考えた禁止クローンに見られる獲得免疫系の異常によるものは、自己免疫病の一部を構成しているに過ぎないことを示唆しているのかもしれない。
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第2節は、なぜ他者である微生物が体内に存在しているのか、共生するようになった理由は何なのか、というような問いを扱っている。共生には、寄生(parasitism)、片利共生(commensalism)、相利共生(mutualism)の3種類が区別される。寄生は一方が他方の犠牲の上に生きる状態なので、ヒトに見られる微生物叢(マイクロバイオータ)は片利共生か相利共生の関係にあると想像される。ここ数十年の間に膨大な成果が蓄積している領域なので、極一部しか紹介できない。まず、ヒトが消化できない食物繊維の分解に微生物が関与していることは以前から言われていた。それから、無菌動物で免疫に異常があることは報告されていたが、微生物と免疫機能との間にある驚くべき関係が最近明らかにされた。
2005年、サーキス・マズマニアン(1972-)のグループが、僅か1種類の腸内細菌(Bacterioides fragilis)がリンパ器官の成熟や、Th1細胞とTh2細胞のバランスを調節していることを明らかにしたのである。2009年には、Th17細胞の成熟がセグメント細菌によって制御されていること、2011年には、制御性T細胞が17系統のクロストリジウム属によって誘導されることが明らかにされた。つまり、特定の共生菌が免疫機能の限定された局面を調節していることを示している。これが一般化できるのかどうかは、今後の研究を俟つ必要があるだろう。
もう1つの例として、微生物叢・腸・脳軸とも呼ばれる中枢神経系との関係について見ておきたい。腸内微生物叢の不在と関連する精神神経症状として、多動、不安行動、学習・記憶の低下、自閉症スペクトラム障害、恐怖記憶症(恐怖記憶を忘却できなくなる)などが報告されている。
このように生体機能と不可分に結びついている微生物だが、この共生は最古の動物である海綿動物から確認されており、植物に至るまで認められる普遍的な関係性と言えるだろう。新型コロナウイルスで話題になったコウモリは、非常に多くのウイルスを保持しながら病気を発症しない免疫寛容機構を持っているが、その機構に不備が生じるとコウモリに存在するウイルスが外に漏れ出し、新たなパンデミックを発生させる危険性も指摘されている。
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第3節では、胎児との共生がテーマになる。妊娠という現象を同種移植と見立てたピーター・メダワー(1915-1987)の卓見と、この移植が拒絶されない理由を3つ提唱したのが1953年のことであった。すなわち、胎児と母体の解剖学的隔離が完璧であること、胎児の抗原性が未熟なこと、母体の免疫能が低下していることの3つであった。さらに、1964年には彼の同僚のルパート・ビリンガム(1921-2002)が、第4の可能性として子宮を「免疫学的特権部位」とした。これらの仮説はいずれも確認されなかったが、この仮説が提出されることにより、妊娠という現象を同種移植という枠組みに入れて検証することになり、遂には生殖免疫学という一つの学問領域を確立するところに導いた。このように考えると、メダワーの仮説は仮説としての役割を十分以上に果たしたのではないだろうか。
メダワーが最も重要であると想定した母児間の隔離であるが、実際には妊婦と胎児の間には双方向の細胞の交流があり、それぞれの組織に組み込まれるマイクロキメリズムの状態になっている。胎児の細胞は母体の免疫システムにより認識されているが、それが抑制されるメカニズムが存在するというのが実態のようである。例えば、胎児側の絨毛外栄養幕細胞に特異的に発現している分子にHLA-Gがあり、これは母体のNK細胞の活性を抑制する。興味深いことに、細胞膜の断片を齧り取る「トロゴサイトーシス」という過程があり、母体のNK細胞が胎児のHLA-Gを齧り取り、自らの殺傷能力を抑制している。また、制御性T細胞(Treg)も母体の免疫抑制に関与しているとされる。この他、微生物叢を含めた他の因子の関与も報告されており、メダワーの問題提起から70年が経過しようとしているが、依然として謎に満ちた現象であり続けている。
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これまで自己非自己の識別理論に合致しないように見える自己免疫と、微生物あるいは胎児との共生について検討してきた。自己免疫という現象は生体にとって欠かせないものであるが、それが過剰になると有害になるという厳密なバランスが求められる過程であると言えるのではないだろうか。共生についても、共生こそ生命の本質であるという単純化が最近見られるが、闘争か共生かという二項対立と同様に注意して受け止める必要があり、両者のせめぎ合いが交錯する「共進化」、「進化的軍拡競走」の視点は避けて通ることができないだろう。
本書では共生に関連して、ミシェル・セール(1930-2019)の寄生についての書『パラジット』(1980)が取り上げられている。フランス語の le parasite という言葉には3つの意味があるという。第1は社会の寄生虫、第2は生物界の寄生虫、そして第3は物理科学における電波信号のノイズを意味し、このバックグラウンドノイズこそが存在の基盤であるとセールは言っている。この思索を免疫システムに当てはめれば、病気には至らない生理的炎症という過程があり、これが免疫システムの成熟に関与しているという事実がある。また、神経系において、刺激に依存しない定常状態において活動しているというデフォルトモードネットワーク(DMN)が想起される。視界に入ってこないことが多いバックグラウンドにおける活動にも注意する必要があるのではないだろうか。
最後に、微生物との共生がもたらす問題として、オーガニズムをどう考えるのかという点に触れた。進化論が出てから自然選択の単位として生物学的個体が見られるようになってきたが、その場合、日常感覚で捉えるオーガニズムとのギャップが出てきた。例えば、遺伝子やオーガニズムの群れなどが選択の対象になるからである。オーガニズムの定義は専門領域により異なり、しかも確立した定義が存在しないという問題が残されている。
この問題に関連して、リン・マーギュリス(1938-2011)の提唱した「ホロバイオント」(宿主とそれに関連するすべての微生物を含む生態学的ユニット)という概念は、有効なものと言えるのではないだろうか。また、ユージン・ローゼンバーグ(1935-)夫妻が「ホロゲノム進化論」(ホロバイオントとその遺伝子情報=ホロゲノム=を自然選択の単位とする)を唱えているが、この場合、共生菌が代を超えて伝搬されるかどうかが問題になるだろう。
このようにオーガニズムを考えてくると、確立された定義はないものの、静的で固定的な存在としてではなく、ダイナミックで生態学的な存在として捉えなければならないことは見えてきた。開かれたプロセスとしての存在、他の生物や環境との関係性の中にある「生」という視点が、これからますます重要になることを感じることができる読書会となった。参加された皆様に改めて感謝したい。
(まとめ: 2025年8月6日)
参加者からのコメント
◉ 矢倉先生、貴重な会を開催していただき、本当にありがとうございます。退職して家庭菜園(野菜は、年間、ほぼ自給)を中心に活動していますが、この面でも免疫の話は興味深いです。私の場合は、知的な好奇心を満たすことが会に参加する動機ですが、幅広く受け入れてくれるこの会は、本当に貴重なものです。また、懇親会で、普段は話すことのない方々と話せるのも魅力的です。次回の会も楽しみにしています。
◉ 昨日もいろいろと教えていただき、ありがとうございました。次回参加できるのは来年になるかと思いますが、よろしくお願いいたします。
◉ 第14回サイファイカフェSHE札幌に参加させていただきありがとうございました。今回も先生のお話を拝聴しながら、色々と考えさせていただきました。
自己免疫につきましては、日頃「自己免疫疾患」を扱っているだけにどうしてもマイナスのイメージが体に染み込んでおり、実際今回のお話でもB細胞、T細胞の各々複数のメカニズムがネットワークを作って自己免疫を封じ込めようとしているのを見ると、やはり厳しく忌避すべき物だと考えるのですが、実際は自己免疫は過剰な免疫を抑制し免疫反応のバランスをとって生体のホメオスタシスを維持するという生存のために欠くべからざる機能を担っているという事で、「厄介者」ではなく「良い人」であるというイメージを持ってしまいました。
また共生につきましては、人類と微生物が栄養物や代謝産物をやり取りしているという認識でしたが、実は微生物が人間の免疫システムや神経システムにまで影響を与えていること、また、そもそも生物は共生なしには存在も進化もできない事を識る事ができました。自然界のルールを人間社会に安易に適用するのは危険な行為であることは理解していますが、現今の「・・・ファースト」の風潮がいかに自然の摂理に反しているかと改めて感じました。
今回のカフェでも色々と学ぶことができました。次回も楽しみにしています。
◉ 矢倉先生の秀逸なプレゼンの中、随所で活発な議論があり、懇親会でもタバコ臭漂う微小環境(喫煙可)が脳髄を刺激したのか思わぬ話題も沸騰し、ともに有意義でした。免疫機構が生体防御だけでなく、記憶、認知、神経・内分泌・炎症、ホメオスタシス、共生等にも深く関わっていることを学びました。また免疫が自己省察に関わってくる可能性も言及されました。自己省察の観点から免疫→哲学を展開できるのではないかと思いました。ただ現代社会では逆に自己忘却の流れが加速しているので、こちらから入る方が早道かもしれません。次回はさらに深堀したお話を聴けそうで楽しみです。
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