15 免疫論を読む (3)




第15回サイファイカフェSHE 札幌



テーマ: 『免疫から哲学としての科学へ』を読む
(3)オーガニズム・レベルと生物界における免疫を見渡す

日 時: 2025年10月18日(土)15:00~17:30 

会 場: 京王プレリアホテル札幌 会議室

札幌市北区北8条西4丁目11-1



参加費: 一般 500円、学生 無料


カフェの内容

免疫から哲学としての科学へ』を読むシリーズの第3回目は、第3章「オーガニズム・レベルにおける免疫システム」と第4章「生物界に遍在する免疫システム」を読む予定です。高度に分化した生物における免疫システムを詳しく見た後、生物界全体に視界を広げて免疫という現象の意味を考えます。以下のテクストをお読みいただいてから参加されると、免疫に対する理解が深まると思います。

テクスト: 矢倉英隆『免疫から哲学としての科学へ』第3章、第4章(みすず書房、2023)

参加予定者には、あらかじめ資料をお送りします。

参加を希望される方は、she.yakura@gmail.com までお知らせいただければ幸いです。よろしくお願いいたします。



会のまとめ





少し寒さを感じるようになった北の都でのサイファイカフェSHE札幌であるが、すでに15回を迎えるところまで来ている。幸い7名の方が参加され、熱を持った会となった。参加された皆様には改めて感謝したい。

今回のカフェでは、拙著『免疫から哲学としての科学へ』(2023)の第3章と第4章を読み、ヒトやマウスで明らかになったオーガニズム・レベルにおける免疫の特徴を検討した後、広く生物界を見渡して免疫という現象がどのような生物に存在するのか、存在するとすればどのような構造とメカニズムを用いてその機能を発揮しているのかについて研究成果を調べることにした。このように、一つの現象の在り様を広く集めてその中にある共通項を探し出すことは、その現象の本質に至る一つの方法になるが、古くはプラトンが記述している中に見ることができる。ということで、今回の内容は、免疫の本質を探究する準備段階になるだろう。

拙著では、その先に続く内容を的確に表現している先人の言葉を選んでエピグラフとしている。第3章の「オーガニズム・レベルにおける免疫システム」では、生理学者で実験医学の創始者と言われるクロード・ベルナール(1813-1878)の次の言葉を引用している。

したがって、あらゆる種類のシステムを避けなければならない。わたしが見出した理由は、システムというものは自然のなかにはなく、人間の精神のなかにしかないからである。

オーガニズム・レベルで免疫を考える時、あるいは生物というものを考える時には常に頭に置く必要がある言葉だろう。

免疫システムの中には自然免疫と獲得免疫という2つのサブシステムがあり、長い間別々に研究されていた。古典的には、それぞれ次のような特徴を持っている。自然免疫には抗原特異性や記憶はないが、反応が速いのに対し、獲得免疫は反応が起こるのに時間はかかるが、抗原特異性と記憶機能を持っている。担当する細胞も異なっており、自然免疫は樹状細胞、マクロファージ、単球、顆粒球、ナチュラル・キラー(NK)細胞を含む自然リンパ球などにより担われ、獲得免疫を支えているのはT細胞、B細胞というリンパ球である。また、自然免疫は進化の早い段階にある生物でも見られるが、獲得免疫は顎口上綱にしか存在しない。

ところが、研究が蓄積するにつれ、このような明確な境界がぼやけてくることになる。例えば、獲得免疫が独占するとされた免疫記憶が自然免疫を担う細胞(NK細胞、単球など)にも存在し、獲得免疫では記憶細胞が担っていた機能を、自然免疫ではエピジェネティックな変化が担うという具合である。一方、反応に時間がかかる獲得免疫を担う細胞の中に自然免疫の特徴である非常に速く反応する細胞が存在する。T細胞とNK細胞の特徴を持つNKT細胞や微生物由来の代謝産物を認識し、抗原特異性も持つMAIT細胞(粘膜関連不変T細胞)などがその例である。さらに、次の第4章で検討することになるが、進化の最初期にある生物から獲得免疫としてよいメカニズムが存在することも明らかになってきた。

それから、生体内において免疫システムと他のシステム(例えば、神経、内分泌、代謝など)との境界も明確であると考えられていたが、相互に反応し合っていることを示す結果が増えている。システム間のこのような関係は20世紀の前半から報告され、後半に入ると「精神神経内分泌免疫学」(PNEI=psychoneuroendocrinoimmunology)という学問領域が提唱されたりしたが、相互の関係が因果ではなく相関を示すに過ぎないことが少なくなく、なかなか研究のメインストリームに入ることができなかった。

しかし最近の研究では、システム間の交流の物質的基盤が明確に示されるようになってきた。今回は、特に免疫と神経との関係を取り上げて議論された。古典的な実験として、1975年のロバート・エイダー(1932-2011)らの報告がある。彼らはパブロフ(1849-1936)の条件反射のシステムを用いて、無条件刺激として免疫抑制剤、条件(中性)刺激としてサッカリンで条件付けすると、サッカリンだけで抗体産生を抑制できることを示した。21世紀に入り、末梢の炎症性刺激が中枢神経系の抗炎症性反応を誘発する「炎症性反射」と呼ばれる現象がその分子基盤とともに報告される。数年前の研究によると、腹部の炎症により大脳の特定部位(島皮質)のニューロンが活性化され、炎症回復後にニューロンを再刺激すると炎症が起こることが示された。これは、末梢の免疫反応の情報が大脳に記憶され、それを引き出すことができることを示唆している。これらの結果は、1926年に免疫における条件反射を示したセルゲイ・メタルニコフ(1870-1946)の言葉――動物を免疫することは、細胞の感受性をコントロールしている神経の中枢を免疫することである――が正鵠を射ていたことを示している。

免疫と神経との関係を「情報感知システムとしての免疫」という視点から研究する流れもある。ジェームズ・ブラロックは、1984年に「感覚器としての免疫システム」を、2005年には人間の五感では捉えることができない情報を検出するという意味で「第六感としての免疫システム」を唱えている。固有受容感覚(proprioception:体の位置や動きを無意識の内に認識する)も第六感と言われていたため、2018年にジョナサン・キプニスにより「第七感としての免疫システム」と修正された。キプニスは、「免疫システムの役割は、微生物を感知して、その情報を神経系に伝達することである」と言っている。1世紀前のメタルニコフの言葉と響き合う認識である。

2017年、ヴェイガ・フェルナンデスらは、免疫システムは内外の生態系からの情報を受容、統合して反応することにより、生体のホメオスタシス維持に関与していると考え、「センサー免疫システム理論」を唱えた。さらに、この過程に関与している「神経免疫細胞ユニット」(NICU)という構成要素を想定し、次のように定義している。このユニットは、リンパ器官、脂肪組織、粘膜などの特定の部位に神経細胞と免疫細胞が共存し、造血、器官形成、炎症、組織の修復、熱発生などの生理的過程を統合的に制御している。これら一連の成果は、免疫システムは神経系とだけではなく、他のシステムとも具体的なネットワークを形成して生体のホメオスタシスを維持している可能性を示唆するもので、これから同様の結果が蓄積されてくるものと想定される。

第3章の最後に、上述の生体制御の全体論的な見方であるホメオスタシスとその前駆概念である内部環境について、歴史を振り返りながら考えた。クロード・ベルナールはその著『動物と植物に共通する生命現象に関する講義』(1878)において、3つの生の形態について分析している。第1は「潜在的な生」で、化学的要求性が低下し、生命活動が止まったように見えるもので、種子、ビール酵母、線虫、クマムシ、ワムシなどをその例としている。第2は「変動し依存する生」で、すべての植物とほとんどの動物がこの形態を採っている。そして、第3が「自由で自立した生」で、これを支えているのが「内部環境」(milieu intérieur)であるとした。内部環境を構成しているのは、血液、リンパ液、間質液などの液性成分で、これらが細胞や臓器を浸し、外部環境から護る役割を担っている。そして、内部環境の「固定性」こそが、自由で自立した生を保証しているとした。

この概念をホメオスタシスとして発展させたのが、アメリカの生理学者ウォルター・キャノン(1871-1945)だった。ホメオスタシスは、生物に特有の、多くの臓器が協調して定常状態を維持する生理反応で、固定的にではなく、ダイナミックな制御(不安定性により安定性を確保する)するものであると定義された。このように、固定的なものではないとしていたにも関わらず、ダイナミックな制御を強調するホメオスタシスに代わる概念がいくつか提出されることになった。この背景には、ベルナールの使った「固定性」という言葉の影響があったのかもしれない。代替概念の中に、ピーター・スターリング(1940-)の「アロスタシス」がある。この考え方は次のような特徴を持っている。環境や社会的影響により、すべての生理的パラメータが変化することを認め、外界のストレスに対する能力もこの制御に含まれるとした。その上で、生体の処理能力を超えた場合には病的状態に陥り、それを「アロスタシス過負荷」と定義した。このような新しい側面を示したことを認める立場と、ホメオスタシスとの違いが明確ではないとする立場があるようである。

第3章の最後で、生物学知の社会への援用について触れている。それは、キャノンがその著『からだの知恵』などで「生物学的恒常性と社会的恒常性」という問題を論じているからであった。彼が提唱するホメオスタシスと類似のメカニズムが社会においても機能するのではないかという論だが、ややナイーブな議論であるという印象を持った。このような例としてすぐに思い出すのは、ハーバート・スペンサー(1820-1903) がダーウィン(1809-1882)の進化論を解釈して「適者生存」、「弱肉強食」、「淘汰」などの概念を導入し、それを社会に当てはめようとした社会進化論である。これは社会にネガティブな影響を及ぼすことがあった。また、エドワード・O・ウィルソン(1929-2021)の 人文・社会科学の対象(人間の社会的行動)は生物学で説明可能だと主張する『社会生物学』(1975)も激しい批判の対象になった。個人的には、全体のために部分を構成する細胞が死を運命づけられているように見える 「プログラム細胞死」「アポトーシス」などは注意しなければならない例になると考えている。





第4章では、生物界における免疫という現象を系統樹に沿って検討している。具体的には、細菌から始まり、植物、無脊椎動物、無顎類における免疫の存在とその様態を分析している。結論から言うと、ドイツの哲学者ペーター・スローターダイク(1947-)が指摘しているように、すべての生物に免疫は存在しているが、その様態は生物種によって大きく異なっていることであった。細菌を例にとると、制限修飾系が細菌における自然免疫を担っているとされる。この系は、外来のファージDNAの特定部位を制限酵素が切断するが、その部位は自己のDNAにも存在する可能性があるため、メチルトランスフェラーゼという酵素が自己の部位を修飾して制限酵素による切断を免れるようにしているというシステムである。これが免疫とされる根拠は、自己と非自己の識別が行われていること、外来の「敵」を排除する過程に関与していることであり、自然免疫とされるのは、抗原特異性と免疫記憶が欠如しているためである。これは冒頭で触れた免疫の見方が反映された解釈であると言えるだろう。

因みに、細菌の獲得免疫を担うとされるのがCRISPR-Casシステムである。このシステムは、以下のような過程を経て機能している。外来DNAが侵入するとCasという酵素がそれを切断し、その断片が細菌のゲノムに順次組み込まれていく。そして、再び時が来た時に転写された産物が切断され、侵入したDNAに同じ配列を認めた場合、それを切断して防御する。この過程には抗原特異性があり、ゲノムに外来抗原が組み込まれて再度の侵入に対して反応するという記憶も存在しているところから獲得免疫される。ヒトの免疫システムから見ると想像もできないようなメカニズムで自然免疫と獲得免疫という機能を任っていることが分る。このような現象が、植物、無脊椎動物、さらに無顎類(ヤツメウナギ、ヌタウナギ)においても認められている。この中で、無顎類のシステムにはリンパ球や抗体はないものの、我々のシステムに最も近い構成が見られる。他の生物の詳細については、本書の第4章を参照していただければ幸いである。

ここで、これらの解析から見てきたことを簡単にまとめておきたい。まず、すべての生物は自然免疫だけではなく、特異性と記憶を持つ獲得免疫を具えている。つまり、免疫は生命と同じ広がりを持ち、生命の条件となっていると考えてよいだろう。それから、免疫機能の核には自己と非自己を識別するメカニズムが存在しているが、それにもかかわらず自己免疫は常に存在する。それは免疫システムを持つものの宿命とさえ言えるレベルにあり、自己免疫に内包されている生理的役割に思いが至るのである。

検討したすべての生物の免疫反応を列記すると、そこには4つの機能的要素が共存している。すなわち、1)認識、2)情報の統合、3)適応的な反応、そして 4)その記憶である。プラトンに倣い、これらを暫定的に免疫の本質的要素とすると、神経系の基本的な機能要素と完全に重なる。そして、これらの要素を「認知」(cognition)という過程の骨格になっていると考えることにした。細菌には神経系が認められないが、すでに見たように免疫システムは存在しているところから、免疫システムは最古の認知システムであると考えられる。

ここで認知がどのように捉えられてきたのかについて、少しだけ振り返っておきたい。意識を考える際、外界の情報を感受する過程と、感受したことを認識するより高次の機能に分けることがあり、後者を認知とする場合がある。しかし、ここでは前者も含めたより広い範囲をカバーするものとして認知を考えることにする。これまで、どこに最小の認知機能を認めるのかというミニマル・コグニションの問題として議論されてきた。大きく分けると、未だに優勢に見える神経系が存在しなければ認知はあり得ないとする立場と、複雑でダイナミックな環境で生物が生き残るために必要な過去の記憶と情報処理を基にした決定過程を含めば認知とする立場がある。

わたし自身は、より広い議論を可能にするためには生物学的な(主観的な要素を排除した)定義を適用すべきではないかと考えており、本書では上述の4要素を含む過程を認知として議論を進めている。そう仮定すると、免疫システムは神経系よりもよりインクルーシブな神経様認知装置と言えるのではないかという結論に至ったのである。


次回は、これらの科学的分析を基に、思索をさらに深めていく予定です。

興味をお持ちの方の参加をお待ちしております。






(2025年10月22日)



参加者からのコメント


◉ どうもお疲れさまです。免疫の有無が生命体の定義にできそうなことに気がついたのは、大きな収穫でした。それで、Google Geminiと対話してみたら今回のカフェの内容に近い話が沢山出てきて、夜更かししてしまいました。


◉ おはようございます。昨日は久しぶりに楽しい時間を過ごし、リフレッシュすることができました。意識の問題は特に興味深く感じました。学生時代に購入して読まずにいた品川嘉也氏の『意識と脳』の序文に大谷卓造先生(京都大学の生理学者)の「意識とは外界から区別されるものとしての自己に関する意識である」という考えが紹介されていました。また4月にお会いするのを楽しみにしております。


◉ いつも素晴らしい会合を作っていただき、ありがとうございます。研究会での免疫の話は、門外漢のため詳しい点は分かりませんが、事実を捉える視点は、他の科学の研究成果を考察する上での大いなる示唆になるように思います。また、懇親会の席では、個人的な事も含め日常の生活の中で感じていることの交流が行われ、研究会と同じように実りあるものでした。このような大学のゼミを思い出させるような研究会は、札幌では貴重であり感謝しています。


◉ 有意義なレクチャーと懇親会、ありがとうございました。細菌・アーキア(“原始生物”)から顎口上綱(”高等生物”)に亘った最新(~2023年)までの免疫学的知見を展開頂きました。2時間では頭がついていけない程の濃い内容でした。その中で最古の認知・免疫システムかつラマルク的遺伝も示唆するCRISPR -Casシステムに以下の疑問が湧きました。十分に古い他の”自然免疫”の多くはその相同・相似システムとしてヒトでも機能しているのに、なぜCRISPR -Casシステムは早くから”進化”の過程で消滅してしまったのか? もしCRISPR-Casシステムが進化過程でラマルク的遺伝形式とともに存続すれば、現在の地球上の生物はどうなっていたのか?(破滅? 両極端な進化と退化?-)次回はMOSが主題となりそうで楽しみにしています。


◉ 白いものがいつ混じってもおかしくない、そんな冬の到来を肌で感じる小雨降る週末の夕方から会が始まりました。日常の生活とは異なった次元の会への参加を待ち侘び、そして実際に会が始まったことにやや興奮気味の8名の参加者(+矢倉先生)の自制した静けさで今回も始まりました。

オーガニズム・レベル、つまり個の枠内での免疫システムとして考察するところから始まり、後半は生物の進化の過程を免疫系を軸に改めて考える試み、つまり生物界に遍在するシステムとしての免疫系の省察の試みであった。暫定的ではあるが、免疫系を構成する4つの機能的要素である、認識、情報統合、反応、そして記憶という4つの要素を座標軸にしつつ、進化の過程での先天免疫、獲得免疫の再省察を通して、免疫系そのものが生命の基本ではないのかとの想像にも到る。蛇足だが、細菌の持つ防御システム、例えば侵入するファージDNAに対する防御機構としてのDNA切断制限酵素、そしてCRISPR-Casのシステム。それら細菌の持つ生命維持メカニズムを応用した形の遺伝子改変技術により現代の我々の生命科学研究が大いに推進していることの偶然さにも感嘆仕切りである。

認識、情報統合、反応、そして記憶といった要素から生物現象を振り返った場合、そのコンポーネントは神経系の構成要素と完全に重複しあうことに気づく。逆説的に、神経系で観察される情報の処理記憶の区分け、例えば意味記憶とエピソード記憶では記憶、そして追想といったプロセスに差異があることが、近年の認知症研究で知られている。そして、近時記憶と長期記憶での保持能力といった視点での認知症解釈もよく知られているところである。そういった神経系のもつコンポーネントを軸に、免疫現象を再度考え直すことも有用ではないのかとの夢想が浮かんでいる。新型コロナウイルスとそのワクチン効果など、若年者と高齢者の有効性や免疫記憶への効果など、神経系のコンポーネントからの再考察も免疫系のもつコンポーネントの新たな発見への繋がるのではないか、そういった妄想とともに来春の会への思いを抱え、雨の中で帰路についた。


◉ 10月18日のサイファイカフェSHE札幌に参加させていただき、ありがとうございました。私の頭の中にある「免疫」の大地の地平線を大幅に拡げてくれた、素晴らしい内容でした。私なりに乱暴にまとめますと、

① 「免疫」=「生命」: 現存している生物は必ず免疫系を持っている。言い換えれば、免疫系がなければ生命は存在し得ない。

② 「免疫」=「神経」: ほぼ同義である。免疫系を持つということは、神経系を持つということである。

③ ということであれば、ユニークで優れた免疫系を持つ細菌や植物は、各々ユニークで立派な神経系を持っていると考えられる。

④「神経系」は、「意志」や「魂」といった精神的要素をも含む。

⑤そうであれば、細菌や植物も強い意志や崇高な魂を持っていると考えられる。

細菌や植物は、どんなことを考え、どんなことに笑っているのだろうか。妄想が膨れ上がるのを楽しめた会でした。次回も是非参加させていただきたいと思います。ありがとうございました。


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